編集後記:へたっててもO.K.(1999年7月分)。


無断で使ってるけど、怒らないでね

*西田尚美、深津絵里と続けば次は彼女!*
(photo by S.Sakaguchi)

姉妹編集後記のSisterMoonPresents「サボってて悪いか!」(kariho君 執筆)へ
姉妹編集後記の英都中推理研「無職? それがどうした!!」(goki君 執筆)へ

6月の編集後記を読む
5月の編集後記を読む

7月31日


スバルくんが、日渡早紀の「ぼくの地球を守って」(花とゆめコミックス)1〜5巻を貸してくれる。
で、とりあえず読みはじめるが、ディープな設定にいつしかむさぼるように読んでいた。
その後11時30分ごろぶらりと出かけ、「吉野屋」で夜食。電話でgoki君と話した後、1時就寝。

7月30日


「彼女たちの時代」ネタの続き。
karihoくんはじめ、友人たちが雨上がり決死隊のカタワレが演じていた「営業の上手い男」についていろいろ論じていた。

その「営業の上手い男」がどんなふうだったかということを観ていない人のために解説すると、分譲マンションを売るためには「買い換え層」をターゲットにするのが良策ではないか?という持論から、現在住んでいる住まいに不満を感じていそうな人々を探すため、ちょっと手狭そうなマンションなどのリサーチをその足で行い、自転車置き場の駐輪数や、ベランダの洗濯物までチェックする男・・・そんな感じだった。
それを観ていた僕の感想としては、「こいつ、自分の持ち場(営業)で面白さを見つけながら、工夫して仕事してるなあ〜」というところだった。

まあ現実にはあんなもんじゃないんだろうし、僕自身は営業職に就いたことはないものの(因みにSE見習いだった)、俗に言う「会社勤め」はキビシイものだと、感じている。

ただそれでも、分譲マンションの営業・販売という「持ち場」に特化した場合にそれが「できる」とは僕も言わないけれど、自分の生活や生業のどっかに「面白さの取っ掛かり」を見つけられるようなことなら、そんなにムズカシイことじゃないんじゃない?と僕は思った。
ちなみに友達のひとりはメールで、「社会的生命力ありそうな、自分とは正反対のタイプ」と書いていた(話しによると会社勤め時代、かなり辛かったようである)のだが・・・

話をずらすが、俗に言う「人間の性格」というのは、性格イコール心ではなく、そのひとの心全体のうちの「見えている氷山の一角」でしかないような気がする。
どういうことかというと、自分のこころのなかに「強い自分」も「よわい自分」も全部入っていて、どう気持ちを持っていくかは、すべて自分次第なんじゃないか・・ということである。
そしてひとの「強さ」(あるいは弱さ)なんてものはそれをどう引き出すかにかかってるんじゃないだろうか。「社会的生命力」とて同じことだと思う。(←友人へ。昼間のメールの返信、言葉足りなくてゴメン。この場を借りて)

だから、自分の現状や未来に希望が持てなかったり、自分の才能とかに自信が持てずにいる人がもしいるのなら、僕は「その先入観に囚われずに、自分がほんとうに『そうしたい!』と感じるままにやってOKなんだよ。」と伝えたい。きっとその感じた気持ちこそが、強さを引き出す力なんだと・・・心からそう思う。

大好きなものはなんだっけ
大好きなひとは誰だっけ
感じたまま生きて大丈夫なのよ きっと

(鈴木祥子「エンジェル」より抜粋。)

7月29日


例によって、CX系「彼女たちの時代」を観る。いろいろ思うところは(前回、前々回のように)あったのだが、今回もちょっと感情移入。
番組のラストで深美(深津絵里)が、恋人が部屋を出ていったことで悲嘆に暮れている千津(水野美紀)を心配で、たまらず走るシーンがあって「あんなにいい子を、悲しませてしまうことがあるのが、悔しくてたまらなかった。どうにかしたいと思った。自分の悩みさえどうにもできないのに」とナレーションが入る場面があった。

たぶん悔しくてたまらないのも、友人を「いい子」と思ってやまないのも、どうにかしたいと思うのも、自分の悩みとつながっている何かをそこに感じるからではないのだろうか?
劇中の彼女も、本当は自分を救おうとしているのかもしれない。テレビを観ながら、なんとなくそう思った夜だった。

7月28日


q@呉村スバルくんが、むかしの"quick Japan"を貸してくれて、それを読んでいた。

内容は、なんと(!)オウム真理教に関する特集だったのだが、「教祖や幹部たちの心理があながち他人事とは思えない」的なライターの切り口には、うなづけるものがあった。とくに、「教祖に『自分の弱点や不具をさらけだすことによって、相手に対する優位を執ろうとする姿勢』を感じる」という旨の文章には、「僕の歌詞の方法論そのものじゃないか・・」という思いに駆られ、はっとさせられた。
また、 「『生産的な社会』に属せない『おたく』や、頭でっかちの『屈折したエリート』にとっての駆け込み寺がオウムだったのかもしれない」という節にも、興味を引かれた。

要約すれば、「・・・ひとごとじゃないんだ。いや、自分自身かもしれない」そんな思いがしたのだったが、著者はこんなことも書いていた。
「『生産的な社会』に属せない若者たちに対して、救いになるかもしれない概念がある」として、「『どこにいても、自分は旅をしているのだ』と思えば、楽になれるのではないか?」と。

実は、これも僕自身が自分の孤独感を克服するために、数年来抱き続けていた思いそのものだったので、かなりショックだったのだが・・・。

で、先ほどスバルくんからメールが届いていたので読むと、文末にcascadeの歌詞が引用してあったので、僕の返事の文末に中島みゆきを引用しておいた(←おいおい)。 いぶかしい顔してなかったらいいけど...。

7月27日


友人と話しをする。その友人(ハンドルを知らないので、仮にqとしておこう。)と、(それぞれの親たちの、田舎にある)実家の近所にすむ人々が醸し出す因習というか、なかなかどうにもならないしがらみみたいなものについてから、音楽の話まで何だかんだと濃ゆい話をしていた。
横で機械がうるさかったのと、僕の頭が鈍っていたために、はっきりと覚えていない部分があるのが恐縮なのだが、そのqとの話のなかで印象に残ったのが人の心の問題に対する答えみたいなもろもろについての会話である。

たしか小室哲哉が女にだらしない、って話をしたあとに僕が「彼が今でも忘れられない、死に別れた親戚がいてそれが原因でだらしないらしい・・・人の心の弱さには何がしか原因があるんじゃない?」と言ったあと、qが「有る人もいるし、ない人もいるかな?けど、大体はあるのかもね」と続けたと思う。
そのあとにはっきり憶えていないのだが、(生きることとか、広い意味での)答えって?って話をした(はず)だが、そのなかで「人それぞれに違うから、これが答えだ!ってもんはないんだろうね」と僕がいって、「あるわけないよ、絶対に」とqが返したと思う(←「(はず)」とか「と思う」と書くのは、頭がかなり鈍っていて記憶が怪しいためである。すまん、q!)。

時間がなかったので話はここで終わってしまったのだが、以下には僕の個人的な見解(というか、思い)を書きたいと思う。
まあ「(生きることとか、広い意味での)答え」って一口に言ってもその表現自体がかなり曖昧なのだが、ぼくは二とおりの意味があると考える。ひとつは、「未来にならないと答えの出ない、未だ成熟していない問題、の答え」と言う意味、もうひとつは「ひとの心の問題を解決できるような『処方箋』で解き明かせるものという意味合いの、答え」と言う意味である。
qが「あるわけないよ、絶対に」と言っていたその「答え」がどちらの意味かはわからなかったが、それが前者のイミなら、その時が来ないと解るわけはない(いま現在、答えなんて出る訳ない)、と思う。
それでは、後者ならどうだろうか。

ぼくは大学時代、実験心理学を専攻していたが、その実験心理学の基本的な考え方というのは、「計測できる指標を用いて測定した結果から、人の心についてわかるものを検証していこう」というものだった。でもぼく自身は、「ひとの心なんて、んなもんで判ってたまるか!でもそう言い切るためには、その「実験心理学」とやらを知ってなくてはならんなあ」という思いで専攻していたひねくれ者だったので、もちろん?成績も悪かったのだが・・・。ともかく、「ひとの心なんて、カンタンにわかってたまるか!」という思いはいまでも変わらないし、わからないからこそ人なんだと思う。

ただ、「ひとの心の問題を解決できるような『処方箋』で解き明かせる、答え」のようなものがないとしても、人はわかりあうことができると、ぼくは信じたい。ひとりの表現者のはしくれとして(←オーバーな書き方だな〜と思いつつも、使う。)、それに「答え」がないとしても、こころを照らすことの出来る、光のような答えがあることを信じていたいのだ。そしてこんなふうに気持ちが割り切れないからこそ、ひとは素敵な生きものなのだと。

君の願いとぼくのウソを併せて
6月の夜 永遠をちかうキスをしよう
そして夜空に 黄金の月をえがこう
ぼくに出来るだけの 光をあつめて・・・
ぼくの未来に光などなくても
(中略)
ぼくらが二度と純粋を手に入れられなくても
夜空に光る 黄金の月などなくても

(スガシカオ「黄金の月」より抜粋)

7月26日


事務所への行きしなに駅へ向かうとき、交差点わきの空調設備メーカーのビルに有る電光表示の温度計を見る。(というか見ようとしなくても目に付くのだが・・・)今年通りがかりに見た中では最高の、32℃だった。ただ32℃にしては、風が有るせいもあってかまだ涼しい気がする。ひょっとして体が順応しているだけ?という話もあるが・・・
今週はサーバの設定等をしなくてはならない。+家人がきょうから1週間、中国(中国地方、じゃないよ)に美術の勉強を兼ねて(本人談。)旅行に行くので、家事の負担が多少増えるかも。

ともかく、密度の濃い1週間になりそうだ。ただし、ぼくとしては脱力感たっぷりに行かせてもらうつもりだが...。

7月25日


じつはここのところ、ちょっと焦っていた。

それはあとに譲るとして、まず最初におわびと訂正。
友人の貸してくれたライヴのテープについて書いた(昨日の項)が、パートはベースではなく、ボーカルだった。ここに訂正する。しかし、かなり間抜けな勘違いである・・・失礼。

(例によっていきなり話をもどすが、)焦っていたというのは、ぼくのなかにずっとあった「ほんとうは自由にできるんじゃないか?」と言う疑問や「そんなことを思ってるのは僕だけじゃないだろうか・・・」と言う孤独感(くわしくは、23日の項参照。)を、はじめてわかってくれた友人のことについてである。

そのことがぼくにとって、どれほど嬉しかったかは、ことばにできないものがある。その孤独感は、きっと誰ともわかりあうことのない、独りで引き連れて行かねばならないものなんだと覚悟を決めていたものだったから。
その孤独感を友人と共有し始めたときから、その友人が僕にとってかけがえのないものであると感じるようになったのは言うまでもないけれども、でも今度は逆にかけがえのない大切な友人だと思うばっかりに、「もっと仲良くならなきゃ、もっと接点をつくらなきゃ」と躍起になりすぎていた気がする。素直に自分を出しても安心できる存在だから「かけがえのない」はずだったのに、「気に入られよう、よく思われよう」としていた気がする。きっとどこかですり替わっていたのだろう。

対する友人は、僕に対して「自分を作らなくていいから、ラクだ」と言う旨のメールを先日送ってくれていた。
このことからもわかるように、ここ最近、ヤツとしてはただ素であることに徹していたような気がする。
たしかにここのところ、ぼくとの会話にかなり時間を割いてくれていたことも事実だけれどもそれだけではないはずだ。人見知りが多かったはずの人間が、誰に対しても「自分」であろうとしている姿がそこにあったんじゃないだろうか?・・・と、今となっては思うのだ。
また、「だいたい一人でいてもOKなんだけど、時には誰かにわかってほしい」と、友人は昨日僕に話した。ぼくもふだんなら、まったくおなじスタンスのはずなんだけど、ここ最近はちょっと冷静さ、というか自分らしさを欠いていた気がする。
いやあ、おとなげないなあ、我ながら・・・ちょっと反省。

で、気晴らしに自転車でブラっと出かけることにして、散らかったままの部屋を後にする。そうやって自転車をこいでいると、「『自分でいること』以外のこだわりは、捨てたほうがラクだよな〜」とふと思った。もちろん、「自分らしさ」はこうだ、って決め付ける必要もないけど...。
夕刻の街は、入道雲が出ていてきれいだった。(←ちょっとカッコ付けすぎ。)

7月24日


昨日の編集後記は、恐ろしく長かったので(モニターの画面に1日分が入り切らないこと自体すでに問題だ・・)、きょうはやや短めに。

友人が、僕が先週末に渡した旧作のデモテープのお返しとして、昔バンドで演奏したときのライヴの模様を収めたテープを貸してくれた。
「ビデオテープから音だけ落とした」(友人談)こともあってか、雑音が多く演奏の巧拙はよくわからなかったが、彼女の担当しているベースのパートは割と堅実な「仕事」(←中島誠之助風に。)をしているように見受けられた。ちなみにカセットのB面に無造作に入っていた曲も良かった。(昨夜ここ「編集後記」を読んでくれたようで、その旨のメールが届く。ありがとう!)

ほかにはバイト先の若手の職員の方が、先日ツーリングで北海道に出かけた時の写真を見せてくれた。その方の彼女が撮ったという写真は、優しい視点で被写体を捉えてるのが感じられて、◎だった。(個人的にはマーベラスサンデー・マイシンザン、放牧地に向かうため川を横切る馬の写真が良かった・・・←やっぱりウマかよ〜)

7月23日


今朝、夢を見た。
何やらバスか電車の中にいて、みんな夏服の学生服を着ている。近づいている修学旅行のことについて、話しているようだ(光景的には、その最中って感じなのが矛盾しているが・・・)。そして何故か、夢のなかの僕はその旅行に「行きたくなかった」。仲のいい友達や、先生は「行ったほうがあとで思い出になるし、楽しいと思うけどなあ〜」と話すのだが、何だか腑に落ちない・・・・・・というところで、目が覚めた。

とりあえず夢のはなしからは離れて、今日は昨日の予告通り、物心付いてから僕が感じてきたおおまかな『想い』について書きたいと思う。(以下)

ぼくは、物心が付くかつかないかの時、「世界は何もかも自由で自分の手のなかにある」と考えていた。でも実際にはハラがへるし、痛かったり痒かったりするし、自分の気持ちがうまく伝わらなかったりするし、かといって頑張って話しまくったりはしゃいでみたら、「うるさい」だの「落ち着け」だの「強がるな」って言われたりするし、散々だった・・・そんな思いを抱きながら大きくなった。
それでも「世界は何もかも自由で自分の手のなかにある」って最初の確信が捨てられないし、確信がホンモノだって信じたいと思い続けてきた。

でもそれを平然と続けられるほどには心は感じにくいものでもないし、ましてや恥知らずでもなかったから何かに付け反発したり、納得できなかったりした。そこでふと回りを見回すと、誰もがそこまで疑問を感じていないことに気が付いて焦って、よけい孤独を感じてたりしていた。
やがて大人になって、そういった「ほんとうは自由にできるんじゃないか?」と言う疑問や「そんなことを思ってるのは僕だけじゃないだろうか・・・」と言う孤独感も、そこそこにはやり過ごすことができるようになった。
しかし、本当の意味でその「疑問」や「孤独感」、そして自分への自信のなさに向き合ってどうにかしようとしなかったから、時々発作のようにそんな気持ちが溢れてきて、たまらなくなることがあった。

でもこの2ヶ月ほどの間、自分の不安の原因は何か、ということに「本気で向き合いたい、どうにかしたい」と思うようになって、いろいろなことが分かってきた。いままで色々あったけれど、それでも「世界は何もかも自由で自分の手のなかにある」し、それを誰かと分かち合えるって確信を捨てないからこそ、僕はここにいるんじゃないだろうか、と思えるようになった。

で、話を今朝の夢にもどそう。
とりあえず夢から覚めたとき、「なぜ夢の中のぼくは修学旅行に『行きたくなかったし、腑に落ちなかった』のか?」と考えてみた。そして、ふと気が付いた。
それは、「決められたこと(修学旅行)よりも楽しい、かけがえのないものがある」と心のどこかで感じて、それを信じたいと思っていたからじゃないだろうか、と。そして腑に落ちなかったのは、「大切なことは自分で決められないまま流されているんじゃないか?」って思いが有ったからじゃないだろうか・・・と感じたのだ。
たとえ夢の中でも、具体的な対象(修学旅行うんぬんか、生き方そのものか)こそ違え、ぼくの想いは一貫していた。それを再確認した朝だった。

で、また話を戻す。(←おいおい)
この2ヶ月ほどの間にぼくが気付いたり取り戻した気持ちはいろいろ有るが、そのなかでも大きかったのが「想わなきゃ、思う通りになんかできない。それなら想った通りにできる、と信じよう」そういう気持ちだった。そういう思いを持って日々を過ごしてゆくうちに、徐々にいろいろなことが解るようになってきた。それまで軽い話をすることが多かった友人のひとりが、自身のことについて初めて話してくれたことばが、奇しくも僕が感じてきた悲しい思いと重なった時、ぼくの感じてきた孤独感が、ぼくだけのものじゃないということもわかった。そして、さみしさが消えてゆくのを感じたとき、自分は決して孤独などではなく、いろいろなものに支えられているということがわかった。昨日の項に書いた「幸運を感じることができたなら、」のくだりはそういうぼく自身の想いも重ねて書いたつもりである。
だから今は、自分の今までの悲しみも含めた気持ちをまだ見ぬ「さみしさを抱えている人達」に伝えたい、という気持ちが僕に生まれて来ている。

とにかく、ここまで来たら、もうすぐだ!(←なんなんだか・・・)

7月22日


昨日に続いて、恐ろしく暑い。気温は30度を少し越えた程度(?)のはずなのだが、湿度が高いのか、コンクリートジャングルの御堂筋(!)なぞを歩いているのが悪いのか、恐ろしく高温に感じられる。おまけに汗がひっきりなしに流れ、拭いているのも面倒になってくる(←最近はタオルを常備しているのだ)。これはタオルだけじゃなく、替えのシャツも持っていなくてはいけなくなりそうである。

話は例によって変わるが、昨晩、汗だくになって帰ってきてから、シャワーを浴び夕食を摂りながら、CX系ドラマ「彼女たちの時代」第3話を観る。内容的には「営業をやってる者には身につまされる内容(By kariho君)」といえるものだったが、僕にとって印象に残ったのはファミレスに勤めながらカルチャースクールのゴスペル教室に通っている千津(水野美紀)が同棲しているバンドマンの恋人(加藤晴彦)が、本腰入れてバンド活動を再開するために、新たなメンバー4人(オセロケッツ)と練習を始めた、というくだりだった。

・・・彼がいるはずの練習スタジオに差し入れしに来た千津がはち合わせたのは、恋人抜きのメンバー4人。彼女が理由を聞くと、「彼はレベルが低すぎて、合わない」のだと言う。で、いかにも彼がいそうなパチンコ屋で恋人の姿を見つけて(しかもフィーバーしていた!)彼に話を聞くと、「なんというか、音楽性があ〜」と強がるような言い訳をぼやくばかり。悲しくなってきた千津は、差し入れを両手に抱えたままアパートへ帰って、そのあと深美(深津絵里)と待ち合わせて衝動買いに出かける・・・という話だったのだが、それが僕にとってどう感じられたかというと、「伝えたい、と思う想いが有って(合って)、かつ理解し合えるひとと巡り会うというのは、なかなか大変なことだな〜」と改めて思った、ということである。(「オトコがだらしないなあ〜」とも思ったが。)

「まずは、心から自分が『そうしたいこと』について、想うことだ」という意味のことは、ここでも再三書いているけれども、何だかんだ言ってもそれが実現すると言うのは(バンドのメンバーうんぬんに限らず。)幸運なことだと思う。その幸運を感じることができたなら、あとは自分が過去に感じてきた悲しい思いも含めて、どうやってそれを伝えていくか?ということが課題となってくるが、これは長くなりそうなので、(というか物心付いてから僕が感じてきたおおまかな『想い』について語らなくては説明が付かないので)とりあえず明日に続く。

7月21日


前々から買い換えを検討していた自転車を見に、自転車屋めぐりを行なう。
当初検討していた作業用モデルは、重くて使い勝手が悪そうなのと、意外と高価(廉価版モデルでも3万6千円ほどもする)なことが判明し、早々に却下となる。
で、デザインもシンプルで諸経費込み2万5千円と廉価な、無印良品ブランドのアルミ製自転車に白羽の矢を打ち、実際に尼崎の西武で下見した後に予約の電話を入れる。

一時間半ほどして家人の車でもう一度西武に向かい、引き取りとなるがまさか一日に2度も同じ店に行くとは思わなかったなあ・・・。さっそく近所を乗り回してみるが、なかなかの乗り心地である。
今後心配なのは耐久性の面だが、その点も含めて随時レポートしたいと思う。

7月20日


祝日・海の日である。そういえば、片桐麻美(←知らない人多そう・・・フォーク歌手)の歌に、「海の日」というとてつもなく暗い曲が有った。関係ないが。

話は例によって変わるが、きょうは18日の項ですこし触れた、競馬友達のはなしをしたいと思う。
彼はとても親切で、会う度に(競馬開催日にしか配布していない)レーシングプログラムやリーフレットをくれたりもするとてもいい人なのだが、今まですこしきゅうくつな所があった(これを書いている、今はそうでもないが。念のため)
何がきゅうくつに感じられたかというと、自分に自信がなかったのか、理由は良く判らないが人に求めすぎるというか(←「不安」についての話は6月分でかなり書いたので、割愛するが。)、「約束しないと気が済まない」のである。彼自身が個人の連絡手段(携帯電話とか。)を持っていないこともあって、例えば「○○時には帰ってきているから、電話してくれ」といった約束をしようとすることが多かった。
で、ぼくは了解するわけだが僕自身がかなり不精な人間なので、ほかのことをしていて夢中になって気付いた頃には約束の時間をとっくに過ぎていたり、あるいは本当に全く忘れていたりすることも多かった。それが彼をよけいに不安にさせていたのかも、とも思うが・・・(済まぬ。)
ただ、それ以上に、彼自身が「友達とは、会ったり約束したりできるから友達なんじゃない」というところをつかめてなかったのでは?と生意気ながら思うのである。(僕自身も、別の局面でそれが出来てなかったことが有るかもしれない、と思う。)

たとえば人と会う日時とかを約束することはできるが、「会いたい」という気持ちまでは約束できないのだ。でも、人がじぶんに「会いたい」という気持ちを持ってもらうために、心をひらくことは出来る。そしてそれは「気持ちを持ってもらうために」という仰々しいものではなく、その人に良くしたい、と思えばすんなりと自然にできるものではないかなあ、と思うがどうだろうか。ただ、それは、なにかはっきりしたカタチを以て行動しろと言う訳ではない。まずは「思うこと」なのかな・・・「何かをやりすぎる」ということは有っても、「思いが深すぎる」ということはない。そう信じたい。

ちょっと身につまされるふしが有ったので書いてみたが、また長くなりすぎたかな・・・?

7月19日


昨日の項には書かなかったが、夜中、goki君からTEL。「恋人がサマーキャンプに行くので、しばらく会えなくなるのが、自分でもバカバカしいほど不安だったがなんとか収まった」と彼は話した。(先程彼に送ったメールにも書いたのだが)弱気の虫というのもなかなか手強いもので、収めたと思っていてもまたひょっこり顔を出す、みたいなところが有るな〜とつくづく思う。
(家族、親友、恋人。カタチはなんだっていいが)確固たる、通じあえるような想いがある相手であるにもかかわらず、「長期間会わずにいたことなんてないから、心配だなあ」とか、「趣味や好みが合わないけど、大丈夫かなあ」などと、往々にして思ってしまうのは、何故だろうか。

確かに相手あってのことだから、その気持ちが心配になるのは至極当然だろう。けれども、(実際に相手が心配していたり、弱気になっていたとしても)まずは自分の方からそういった「弱気」を凌駕するあたたかさ、優しさを持てたならと思う。
「誰とでも分け合えるわけじゃない思いで分かりあえるのなら(6/17日の項に書いたように、そうして分かりあえるというのはきっと「奇跡」なのだから)、ちょっとやそっと会えなくなったり、意見が違ったりしても、そんなことで嫌いになったりしないよ。本当に大切だと思っていれば・・・」と僕は思うのだがどうだろうか?

7月18日


雨が降ったり、止んだりの不安定な天気。今週からは競馬の撮影の予定もなく、気楽なものである。
(ちなみにバイトも3連休。)
ただ、5年以上乗っている自転車が寿命が来ている(というか、満身創痍)ので、買い換えをしなければならない。新聞配達の人が乗っているような、丈夫でスピードが出るやつで、しかも安いのがあればいいのだが・・・(センスが良ければなおgoodだが)良さそうなやつを御存じの方は、ぜひメールをください。
晩、競馬の友人とTEL。しばらく無職だったが、「仕事先が決まった」とのこと。とりあえず、おめでとう。

7月17日


最近音楽めいたことをしていなかったこともあり、「旧作の歌入れでもやりますか」ということで、カセットテープを買ってきて行う。
ただあいにく機材をほとんどgoki君に貸しっぱなしなので、カセットデッキを向かい合わせにして真ん中にマイクを置いて歌って録音するという、原始的な方法でおこなう。が・・・
元々ヘタな上にしばらく(と言うか、かなり)サボっていたので、ピッチとかリズム云々を言う以前に、ヘタ過ぎて聴くにたえない。6テイクほど録るが「ちょっとねえ〜」と言う出来だったので開き直って、「ヘタはヘタなりに正々堂々とヘタに歌おう!」と思い直し歌うと幾分かマシになったので、歌詞に合った表現に気を付けてもう1テイク録音し、これで一応OKとする。(しかし、ミキサーくらい買ったほうがいいかな、もう1台)終わったのは3時半。汗だくになったのをシャワーで流してから、慌ててバイトに出かける。折に触れて音楽の話しをしていながら、一度も聴かせたことのなかった友人に渡すが、果たして寒くならずに聴いてくれただろうか?

ちなみにバイトは定時で終わらせて、12時過ぎまでバイト先の若手の職員の方などと飲んでいた。そのあと小雨のなか帰宅、1時過ぎ就寝。

7月16日


蝉が鳴きはじめて、なんだか夏を感じさせる。京都では祇園祭がいよいよ最後の追い込みに入り?(宵山)、なんだか市内が大混雑していそうだが・・・goki君らは、本当に行くのだろうか。僕は祇園祭を観に行ったことはないが、その最中を帰り道でとおったことは有るので、大変なことだけはわかるのだが。(ちなみに天神祭は一回観に行ったこと有り。大阪人だねえ、ここらへんが)
さてことしはどうしようか、天神祭?(近場でお茶でも飲んでたほうが賢いかな?)

7月15日


昨晩、「彼女たちの時代」第2話を観る。あの中に出てきた「自己改革セミナー」なんてのが、「自己を一旦全否定してから進ませようとする」的な、あまりにも非心理学的なバカバカしいやりかたで執り行われているのをみて、ドラマと分かっていながら実に歯がゆかった。
まあ一緒にみていた父によると、あの種のセミナーたるものはいまでも結構行なわれているらしく?受講者の中には「よかったです!」なんて受講の感想を述べる人もいるとか。+セミナーの内容はドラマの中では、まだあれでソフトに描かれていた方だ、とのこと。「日本人にはあのやり方が合ってるんじゃないの?」と彼は言うが・・・
ともかく、その人の過去の素晴らしい部分さえ否定してまで、ムリヤリ0にしてしまうようないわば「洗脳」めいたやりかたは、僕にとって好ましくないな〜と感じられたことだけは確かである。(ドラマ観てなかった方、ゴメンナサイ)

7月14日


風邪が直りきらないので、自宅で仕事。なんとかバイトには行けそうな感じで回復している(ような)ので、それだけが救いである。原因はおそらく、宝塚記念の無理がたたっているのがそれだと考えられるが・・・(無茶はいかんねえ、ムチャは)
とりあえず、仕事の分とこの編集後記をアップしたら、ひとまず眠ろう。

7月13日


朝起きると、少し熱っぽい。おまけにくしゃみも出る・・・ヤバい、風邪を引きかけている。
ともかく、バイトが非番ながらも、事務所の方にやり残しの仕事があるので大阪に向かう。

で、寄り道しなくてもいいのに梅田で服なぞ見ていた。実は靴下を買い足すだけで良かったのだが、阪急百貨店のメンズカジュアルの売り場を一周したあと新しく出来たCD売り場もちょっと覗いてから、阪神百貨店の無印良品コーナーで靴下を2足ほど買う。ついでに1階のアニエスbの出店に行って、ド定番のボーダーを見る。今出ているモデルは白地の方が若干グレイがかっているようだった。細身の僕に合うサイズがあるかどうかまではリサーチしなかったが、西田さんも愛用のモデルだけに?ぜひ1枚欲しいところである。

と、風邪ぎみなのにちゃっかりウインドウショッピングしてしまったのだった・・・大丈夫だろうか?と自分でもやや思う。
ちなみに関係ないが、宝塚記念の写真が上がった。僕にしては、なかなか上々の出来だったのでそのうちアップしたいと思う。

7月12日


昨日の疲れが抜け切らないまま、9時起床。事務所の行きしなに宝塚記念の現像をラボに出したあと、goki君が勧めてくれた入江紀子のコミック「タッグ」1/2巻を旭屋書店で購入。さてどんな内容やら?もちろん、宝塚の写真の仕上がりも楽しみだが・・・。

7月11日


5時に目覚ましをセットしていたのだが、4時に目が醒めたこともあって、4時30分と早めに出かける。場所取りに参加してくれるバイト先の友人たちとdober君の3人が既に待機してくれていた。あと友人がもうひとり現れ、5人のうち3人でダッシュをかけることになる。
そして7時30分開門となったが、この日も競争率が高く、場所取りに失敗(うう)。だが幸いにもdober君とまさひこぼ〜い氏(関東から遠征)ほかの御協力で、自分用の場所を詰めて確保して下さったお陰で最前列での撮影が出来た。(ありがとう!)

レースはグラスワンダーがスペシャルウィークに3馬身を付ける予想以上の圧勝で、初お目見えとなった関西のファンを喜ばせる結果になった・・・が、スペシャルのファンを意気消沈させる結果ともなった。ちなみに僕の隣にいた方はスペシャルの単を50万円買っていたらしく、汗だくになりながら疲れ果てていた。

だが疲れ果てていたのはどのファンとておなじかも知れない。暑い一日だった。既に昼頃に、競馬場ですれ違う誰もが虚ろな目をしていた気がする。僕も暑さでやられていたことも有って、友人・知人達に満足な対応が出来なかった点があったと思う。この場を借りてちょっとお詫び(^^;する。

7月10日


宝塚記念ウイークで、サイレンススズカのグッズがもらえるということで、8時に競馬場にむかうが、恐ろしいことに?既に入場規制が始まっており、8時50分の開門からワンテンポ遅れた入場となってしまう。だが幸運なことに、先着プレゼントのポスターのみならず、成功するとテレカがもらえる耐久なわ飛びにも参加できた(←ただし、途中で脱落したが)。
あと一旦帰って2時間程仮眠してもう一度競馬場に出直してから始まった肝心の入場列取りの方も、理想的とまではゆかないまでもおおむね所定の位置をゲットした。その後10時過ぎまで競馬場にいて、さしこさん達の小宴会に加わっていたのだが、ご一緒したカメラマンの方と写真の話をする。1頭の馬に絞って撮影するわけにはなかなか行かないプロの事情や、「美しい」とされている足さばきの瞬間とか、もろもろのことについて話し、それぞれに興味深かった。しかし何よりモノを創っている人の想いとして共通のものを感じることができたのは有意義だったと思う。その後夜食を外食で摂り11時過ぎ帰宅。明日が早いのでその後すぐ眠る。

7月9日


なぜか、ここ数日著しく寝不足である。まあ寝るのが2時前後になってることもあるが、目覚めるのが6時前とか7時前なので、困る。ただ昨晩の眠り自体は深かったみたいなので、良しとする(ただ2度寝はかなり浅かったが)。ともかく、宝塚記念までにはベストの体調を作っておかねば・・。

で、その2度寝から目覚めると、家人が「はなまるマーケット」を観ていた。「はなまるカフェ」のゲストが江角マキコだったので、思わず観てしまう。
彼女が撮ってきたポラの中にタイ焼きが有って、不思議に思ったが、なんでも彼女はクランクインの時に必ず差し入れするのだという。「なぜタイ焼きなのか?」と言う質問には、「あまり人によって好き嫌いがないし、 タイというのは縁起物なので・・」と答えていた。ゲンをかつぐ江角マキコ!意外と古風な女なのか?恐るべし。

関係ないが、いつも拝見させてもらっている女優さんの、ファン主催の応援ページにその女優さん本人がカキコした様子で、大騒ぎである。あえて何処かは書かないが、このヒントでピンと来た方は「リンク集」を要チェック!(僕の大好きなあの人です・・・そういえば江角さんとも共演してましたね〜ただしうちのHPではありません。あしからず)

7月8日


作曲家・ロドリーゴが亡くなったことを昨日の夕刊で知る。村下孝蔵の死に続いて、少しショック。まあロドリーゴは90を越えていたので、天寿を全うしたわけだが・・・。しかし2月に「これが最後のチャンスかも」と思って会いに行っていた村治佳織はエラかった。

話は変わって(←またかよ)、昨日は夕方からパソコンのリサーチとディスクマンの部品交換を兼ねて、難波経由で大阪・日本橋の電気街へ。久しぶりに行ってみると、電気部品や工具関係の店が表通りから少なくなっていて、替わりに中古レコード店が何軒か出来ていた。それとは別に、前から興味が有った、グッズ類に強い中古レコード店に足を運ぶ。するとあるある、レアなものが!各種プロモ(邦楽が中心)をはじめ、販促グッズ(ちらし、ボールペン、ストラップなど。チャッピーのもあったが、異様にそれだけ高かった)、写真集、果てはアイドルのポップなど。数はそれほどでもなかったが、バラエティが豊富で楽しかった。(深津絵里のドーナツ盤もあったなあ。3000円くらいと高かったが)帰りにも難波に出来たLDBのショップで帽子を購入したりと、リサーチがメインなのにすっかり遊んでしまい、事務所に戻ったのは3時間後だった。

そのあと2時間半程仕事をして、10時前に帰宅。深津絵里主演のドラマ「彼女たちの時代」を観る。主人公たちが僕とおなじ1973年生まれと言う設定や、「踊る」+「オーバータイム」なキャスティング+「イグアナの娘」の岡田脚本、ほんでもって演出石坂理江子ほかという黄金の組み合わせ?なこともあり、個人的にかなりハマっていた。この夏はこれがイチオシである。・・・しかし、深津絵里の演技は、どんな役柄を演じていても彼女の「なにかを伝えたい」という想いが観ている側にも伝わってくるのが実に素晴らしい点だと、思う。

7月7日


行きしなにまたタワレコに寄り、かねてから予約していたHikkiのアルバム(アナログ)の引き取りと、昨日までに貯まったポイントの使用を行なう。宇多田ヒカルのアナログの方は「完全生産限定盤」の割に結構見かけるので、予約しなくても良かったかな、と思ったが・・・ともかく、ジャケットがデカいというのはいいなあ(すごいところで納得している私)。そしてポイント(2000円分)は、サントラのコーナーで(ハル)のサントラが再入荷していたので、その購入に使う。
良かったね、Kariho君(さきほど電話したばかりだが)。

ちなみに今晩から深津絵里主演のドラマがまた始まる。録画しておかなくては・・・。

7月6日


ここ1月ほどイメージの話をしてきたが、まとめとして少々書く。
(人にもよるのでなんとも言えない部分もあるが、)上手く行く方向にイメージを持ってゆくのはたいせつだが、この場合結果を求め過ぎてはいけないというのが大きなポイントだと思う。人生は中身の分からないビックリ箱のようなものと考えると良いかもしれない。中身がわからないから、最後に開けてびっくり!なんだと思う。それもきっといい意味での「びっくり」であることを願って。

きのうこの話題でgoki君と話す。この問題について話すと同時に、彼おすすめの「マーフィー」のシリーズを立ち読みした僕の感想を話した。「まあ『そんなにうまくいくかいな〜』て感じだけど、そういうことも起こりうるのかな?』って感じの奇跡について書いてあったなあ」と話すと、「『そんなにうまくいくかいな〜』と思うところがまだ弱いな」と言い返される。で、「いや、起こるのはわかるし、自分の心の中に奇跡(めいたもの?)を起こせるとは思うよ。でもどんな本を読んだりしても、自分のハートに感じられることしか信じられないじゃん、やっぱり」と答えたら、何も答えなかった。言おうとしていたことが彼にはあったようだが・・・はいはい、ちゃんと買って読みますって。

で、話を例によって替えるが、タワレコのポイントカードがあと1000円分で2000円引きサービスを受けられるまで貯まったので、その1000円分をCDシングルで補うことにした。そこで何を買ったかというと、なんとkiroroの「最後のkiss」だった。CMで流れているCメロ(サビ)が好きだった(というか僕の好きな曲調そのものだった)からである。
で、全体を早速聴いた感想は、「ハジケ過ぎ」。中西圭三か大江千里かと思ったぜ。zooっぽいという説もあるが。BIG HORNS BEEのホーンワークも、ハマリ過ぎである。ただメロの展開というかつなぎ方に少々雑な部分が見受けられるのが、キロロ的な甘さといえば甘さかもしれない。ともかく「いまどきここまでやるか?」というのが、なんとも痛快でした。(で、貯まったポイントで、何買おう?)

7月5日


昨日のgoki君の話を少し思い出す。下の項には書いていないのだが、「『いままで上手く行かなかった』と自分が思っているようなもの(いわゆる苦手意識)を克服できる自信があるのなら、あとはイメージを上手く行く方向に持ってゆくのと『慣れ』しかない」といったことも話してくれていた。あと「失敗しても、最後に勝ち越していればいい」とも・・・そうだねえ、全く。まあ、篠原ともえのパナソニックのTVの宣伝ではないが、「ナチュナチュナチュラルう〜」といったところか(←なんじゃそりゃ?)要するに人生、ナチュラル(自然)にマイ・ワールド出せた奴が勝ちということ。どうだろうか、この結論?(別に勝ち負けはきめなくてもいいと思うが・・・)

話は変わるが、今日「週刊ゼッケン」を立ち読みしていたら、写真館がヨーコ・ゼッターランドだった。(斉藤真由美に続く第2弾?)まだまだバレーボールシリーズは続くのか?ひょっとして次は大林素子!?(←ちょっとそれは〜。)

で、きょうから編集後記のタイトルを「へたっててもO.K.」に変えることにしました。(ちょっとは)前向きな(つもり)でいいのでは?ということで・・・。あいかわらず(カッコ)付きの註が多いな、この編集後記。「キン肉マン」の主題歌の歌詞みたいだ。というわけで、とりあえず書かせてくれ!(以下)
心に愛が無ければ、スーパーヒーローじゃないのさっ!!(←おいおい)

7月4日


午前中はヘタっていて、さらに午後から競馬に出かけたので更新が遅れてしまう。ちなみに来週は宝塚記念なのでもっと更新は遅れるだろう(先週のように?)。なにとぞ御容赦を(とほほ)
という日曜日は、当初競馬に行く予定はなかったのだが、競馬場で良くお会いする方からメールを頂き、その内容を読んでコスモプラズマが出走することを知り、慌てて出かけたのだった。現場に着いたのは本馬場入場のさなかだったので、かなり焦った。まあレースには間に合ったんだけど・・・。

夜、kariho君、goki君とTEL。kariho君とはHPと好きな音楽の話を、goki君とは気持ちのコントロールのやりかたのようなものについて話す。おおまかには、「上手く気持ちをコントロールするのには、『慣れ』といった要素も大きいんだろうな・・・」といったことを話した。あとは「イメージトレーニングも大事だが、それもあまり具体的なイメージにこだわらない方がよいのでは?」といったことを彼は答えてくれた。頭では分かっているのだが、こういったことがなかなか難しいんだなあ〜。まあやってみるか?てなところでお開きとなる。
そのあと少し夜更かしして、2時就寝。

7月3日


土曜日ということで、サボってしまい更新が遅れる。(かたじけない)
話は変わるが、昨日、深里の紀さんのHPを拝見していたら、日記に野茂英雄のことが書いてあった。僕は野球はほとんど観ないし興味もあまりないのだが、野茂英雄に関しては、近鉄時代にデッドボールを受けて頭蓋骨陥没という大怪我を負ったにもかかわらず、倒れてしばらくして何事もなかったように立ち上がった「事件」(本当に何事もなかったそうだが・・頭蓋骨陥没なのに。)以来、何だかとっても好感が持てるのである。
で、その野茂英雄について紀さんは、「もう30だし、以前より球威も衰えたが、いまだに野茂にしか投げられない球、というものが存在する」と書いていた。その『野茂にしか投げられない球』というくだりで、僕はふと思った。「なんて素敵な響きのする言葉なんだろう。」ぼくも「ぼくにしか撮れない瞬間」や「ぼくにしか紡げないことば、そしてメロディー」を目指して創ってゆきたいと素直に思った。ただ、それが問題だった。

自分にしか創造できない独自なものを目指してゆくことによって、普通の人達の普遍的な気持ちや想いから遠ざかって行きやしないか?とドツボにはまってしまった。そして遠ざかってゆくことで感じる孤独を思い、少し辛くなった。さらにその一方で、「自分にしか創造できない独自なもの」なんて作れやしないさ、というあきらめの念も想像された。それも辛かった。

だけど、たとえそれが独自なものであっても、そんなに人の創るものが普遍性を失いやすいものでもないし、逆にありきたりのものしかできなくても、そこに「ありきたりのものだけど、ぼくはこの想いを持ってここにいる」という潔さがあるなら、それはその時点で「ありきたりのもの」ではなくなっているのではないだろうか・・・ということに気が付いた。そしてどっちに転んでも他人と共有できる想いがそこにあるはずなら、やはりそれは幸せなことではないだろうか。そう思った今夜だった。

7月2日


昨晩、ベッドに転がったきり寝入ってしまい、4時半に目が醒める。眠りが浅かったようで、週刊誌のマリアンのヘアヌードのグラビアを見ている夢なぞ観てしまったもんだから、空腹と併せてなかなか2度寝できない。まあ夢がモノクロだったのが救いか・・・。

それだけでなく、自転車のチェーンも弛んでいて駅前の自転車屋で調整してもらうまでは大変だった。+朝家を出る時にパスケースを忘れてしまい、回数券代が1往復分ムダに。ただ通勤の音楽を矢野顕子と村治佳織というセレクションにしていたお陰で、イラつかなくて済んだのは何よりだった。とにかく、残りの1日が良いものであることを祈る。まあ、サイレンススズカ+武豊の逃げっぷりのように、持っている力を解放させるイメージで、力みなくマイペースでハイペースだといいかもね。

7月1日


早いもので7月。1年もいよいよ後半戦に入る。そしてあと10日で宝塚記念だ。そう書くと本当に1年なんてあっちゅ〜間(「ガッツだぜ!」風に)だと思うわけである。
で、その宝塚記念だが、昨日応募していたファンファーレ募集の参加賞として、テレホンカードが送られてきた。で、「どんな図柄か?サイレンススズカか、それともキムタクかな?」と期待して封を切ったのだが、なんのことはない、募集告知に掲載していたのと同じ、ヘンなラッパを吹く馬の楽団のイラストだった。
がっかりを通り越して、「寒ぶ〜」と思わず呟く月友だった。

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