編集後記:へたっててもO.K.。
*1995年英ダービー(優勝ラムタラ/左)*
姉妹編集後記のSisterMoonPresents「サボってて悪いか!」(kariho君 執筆)へ
姉妹編集後記の英都中推理研「無職? それがどうした!!」(goki君 執筆)へ
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8月31日
昨日はふたたび、HDの買い出しに大阪・日本橋まで出ていた。
なんば経由で向かったのだが、ふたたび「中央競馬展」を覗くのと雑誌で場所をチェックした「チャオ・パニック」のショップを見ていたせいで時間がすこし減ってしまう(ちなみに「チャオ・パニック」は、着こなしに一工夫要りそうだが個性的なアイテムが多く、おもしろかった。特に靴や、オリジナルのチェックのシャツとかが良かった)。
で、気を取り直して電気街めぐりを始めるが、なかなか良いハードディスクがない!というかSCSIものはどれも高く、作戦を変えてATAディスクと変換キットを併用して使用することにするが、キットのメーカーが動作確認済みのHDが限られていて、探すのに一苦労。ようやくHDを購入したのは5時過ぎだった。
さっそく事務所に帰って(←本当は難波にケーキのうまい店があるので、そこでお茶したかったのだが...)、設定してみるのだが、キットの設定もHDの設定もすこし不馴れな面があって、うまくゆかず、今日現在も格闘中。
いまはとりあえずMacOs8.5の「ドライブ設定」で物理フォーマットしているのだが、うまくゆくかどうか・・・。
ちなみに今朝、床屋で頭を丸刈りにする。ほとんど床屋に行かない(美容室派。)なので勝手がわからず、+丸坊主・2分刈り・3分刈りの区別が付かずにすこし難儀したが無事スッキリさせることができた。
しかし今日黒白のボーダーを着ているせいもあり、まるで囚人?状態の僕だった。
そういえばきのう槇原敬之が覚醒剤所持でつかまったらしい。けっこうCDを所持している僕は、ややショック・・・そうか、どうりで歯並びが悪いと思った(←それは、シンナーだって!)
8月30日
昨日は大阪まで出て、「中央競馬展」と買い物にいった。
中央競馬展はなんばの高島屋で有ったのだが、フランスの重賞のトロフィー(タイキシャトル、シーキングザパール、エルコンドルパサー)と売店くらいしか見所がなかったのは残念だった。
エルコンのJCか、エアジハードの安田あたりのレプリカゼッケンが欲しかったのだが、売り切れたのかどちらも予約販売のみ。スティンガーは販売なしだった(←じつはこれが一番欲しかった?)まあ、レプリカばっかあってもなあ〜ということで、結局止めに。
そのあと、カードショップ「ミント」と「第4コーナー」に立ちより、「第4コーナー」ではエアグルーヴのサブセットと奥菜恵のレギュラーカードを買う。ちなみにセール中ということで安くしてくれた。
そのあと梅田まで出て、腹ごしらえに吉牛を食し、しばらくヒマをつぶしてから買い物をする。
当初ヘタってきているスニーカーか、ジーンズのスペアを買おうと思っていたのだが、ぶらぶらしているうちに前から欲しかったボディバッグ(DOUBLE SHOCK)を発見。
タスキ状になっているのをマジックテープで止めて使うタイプのもので、鞄本体がラグビーボール状になっていてなかなか良さそう。一度はやめにしようと思ったが、現品のみだったこともあり結局衝動買いしてしまう・・・うう。
昨日の帰りと、今朝試用した限りでは、かなり便利+格好いいのだが、意外と左腰が疲れることが判明。まあ今朝なんかは、荷物の量が半端じゃなかったんで、ホントに極限の状況でのテストって感じだったのだが・・・。
しかしカバンを連チャンで買ってしまって、計画性0ですなあ〜。まあカッコいいし、いいもん!
8月29日
結局、手付かずのままになっている自室なのだが、この際放っておいて(?)なんばの高島屋でやっている「中央競馬展」を観に行こうと思う。去年はなんとかヒマを作って神戸まで、エアグルーヴのレプリカゼッケンを買いにいったなあ・・・と懐かしく思う。
あれからもう1年とは、早い。まあ出かけようか。(以下明日)
8月28日
いつものとおり、午前中は息抜き。
この日は部屋の片付けをする予定だったのだが結局何もせず。仕事のHPの確認、修正とメール確認だけをしてゴロゴロしていた。
その割に疲れが取れていないのが、なんだかなあ〜と思う・・・うーむ。
8月27日
24日の日記について、バイト先の正社員の人が観てくれたようで、「よくわからなかったんだけど、何かあったんですか?」と聞かれる。「ちょっと昔のことについて整理しておこうと思ったので・・」と話すと、「ここの誰かと何かあったのかと思った」とぽつり。・・・おいおい。
どう答えてもカドが立つ質問だな〜と思いつつ、聞き流していた僕。(その人は、いいヤツなんだけどね)ま、「バイトの人です」とか、「学生のときの連れ」とか「仕事の得意先のお嬢さん!(笑)」とか特定して言ってしまうと、それが本当でもウソでも、カドが立つ。第三者たちの罪のない好奇心やセンサクで、当事者たちがシャチホコばってしまうのはちょっとエチケットに欠けると思いません?すくなくとも彼女もネットやってるんだし、ぼくだって明るい未来があるんだいっ!・・・まあ、あんまり書くのもなんだか偽善者っぽいのでこれくらいにしておこう。
まあこういう反応は覚悟していたし、それでも掲載した気持ちをちょっとはわかって欲しかったのだ。
昨日は途中からテレ朝系「てっぺん」を観る。コミックのほうは有名な割に、あまり読んだことがない月友だが、このドラマのほうは坂井真紀がいい味出していて、じつにいい。最初は「恋する惑星」のフェイ・ウォンもどきか?と思ってたのだが...(フェイも好きなので。FF8よりずっと前から)ただ友人たちに「あの坂井真紀カワイクない?」と振ると、「カワイクないっ!」といった風でじつに不評の様子。ぼくは海辺でご喫煙あそばされている(←おいおい。)所とかハマりすぎと思うのだが、皆さんはどうでしょうか?
8月26日
昨日、バイトがはねてから、また銭湯に行く。タオル1枚だけ持っての烏の行水状態なのだが、遠赤外線風呂とかあって面白い。疲れもちょっとマシになって、(というか体が疲れにスナオになる、と言ったほうが感覚にしっくり来る)帰宅。
帰宅後、朝にもらった札幌記念のレープロを、「重賞回顧・エアグルーヴ」のカラーグラビアを見開きにした状態でベケット袋にパックして、机の前のスペースに飾る。週末に部屋の模様替えをするヒマがあったら、改めて壁にディスプレイしたいと思う。
それからNHK-BS2でやっていた「衛星名画劇場」の「コレクター」と、CX系「彼女たちの時代」を観る。どちらも(またもや)身につまされる内容だったが、前者は誘拐された女に、後者は水野美紀演じる千津に感情移入してしまう。・・・どうして僕が感情移入するのは女性キャラが多いんだろう?ひょっとしてオネエの気が?いえいえ、ひたすら想うのは女のほう、というステロタイプのせいでしょう、たぶん。
その後goki君と少し電話で話して、12時30分就寝。
8月25日
きのうはあまりにも個人的な内容+編集後記史上もっとも長い文章(!)で恐縮だった。実際、載せるべきかどうか迷ったが、ぼくの独断と偏見で「ふんぎりをひとつ付けておく意味でいいのでは?」と思い掲載した次第である。あしからず。ただ言えることは、ぼくは「愛」を届けようとして、それがついえたと思っていたが、それは言葉面だけで、ほんとは届いてないどころか、愛なんてこれっぽちも届けてなかった・・・そういうことだ。
で、話題を例によって変えるが、きのうはgoki君と久しぶりにサシで飲む。まあ飲むと言っても、ぼくはほとんど下戸に近いので2〜3杯で気分良くなってしまうこともあり、ほぼ食べ中心なのだが・・・。最近のことや、とりとめもないことなどを2時間程話し、帰りに何故かアイスを食べ、12時帰宅・1時20分就寝。
一夜明けて今朝は、大阪・梅田の中央競馬PRコーナーでローカル開催のレーシングプログラムを配付するので、その順番待ちの列に、友人とふたりで加わる。
これは毎週あるのだが、普段並ばない僕も今週は札幌記念の配布がある(「重賞回顧」がエアグルーヴなのだ)ので、参加。ビルのエレベーターがPRコーナーのある階に止まる設定になる前から待っていた甲斐もあって、列の2番手を確保出来た(ちなみに一番乗りは、常連っぽそうなおじさん)。今週は僕と同じようにグルーヴ目当てのひとが多かったようで(いかにもエアグルーヴのファンっぽそうな女性もいた)、開場後数分で配布終了となった。おそるべし・・・。
さっそく札幌記念のカラーページを観るが、もらってよかったとつくづく思う。やっぱりグルーヴはカワイイ!
8月24日
きのう、またいろいろと考えていて仕事が手に付かず、結局何もせずに事務所を後にする。
妹になんかうまいもんでも、って公約どおり?PaulBocuzeのアップルパイを買って、バイト先に向かう。
話をかなりハイピッチで飛ばすが、
好きな女がいた。
普通っぽい子で、普段あまり喋らないので、「俺となんか接点あるんかいな?」と、ずっと思っていた。その彼女が、突然
話しかけてきた。音楽の話だった。うれしかった。接点云々よりも、ただ彼女と話ができる、それがうれしくて、音楽のことだけじゃなくて、友達のこと、これ
までのこと、人生のこと、いろいろ話した。
けれどある日、彼女が寂しい顔をした。そして、ほどなくメールが届いた。
内容を平たく要約すると、「僕が(「編集後記」などに書いていた)前向きなことを書くのは、『かつて決定的な挫折を感じて、それから立ち直ってきたからだ』
と思ってたけど、そうではないと知って、私には響かなくなった」というものだった。
ぼくは、「彼女は心に何か傷を抱えているんだろうけど、なんとか癒したい」と思った。
いや、そう思い込んでいただけで、本当は僕のほうが不安だったのかもしれない。
こころの問題なんかについて話せる、という接点がなくなることが。
また、いままでの恋のなかで、好きな人にちゃんと思いを伝えて来れなかったことや、心を受け止めることが出来なかったじぶんの過去を許せずに来ていたことから来る罪悪感みたいなものがあったことが、ぼくの不安を募らせていたのだろうと、今となって思う。
ともかく必死になって、それから論争ともいえるようなメール交換が始まった。
だけど、
ぼくらが話していたのは感覚的な内容だったので、ことばで伝えるのが難しかったことと、なにより僕自身が自分の不安を認め、許すところまで来ていなかったので、物別れになり、(彼女はそんな僕の不安を、意識的にせよ無意識にせよ気付いていたのかもしれない。だからこそ「響かなかった」のかもしれない・・と今になって思う。そんなびくついた奴の言う「愛」なんて、だれが信じるだろうか?)最後は彼女の側からやめるという形で幕を閉じた。
それを機に、二人は気まずくなり、殆ど言葉を交わさなくなった。
「ホントは接点なんかなくてよかったんだ、理由なんていらないんだ。ただそばにいたかったんだ」それを伝えられなかった自分が、悲しかった。
彼女をキライになる理由なんて、いろいろあったはずなのに、わけのわかんないいとしさみたいなのがあふれてきて、どうしてもそう思えない。なのに目の前の
彼女はもはや笑ってくれず、凄く遠くに感じる。
そのとき僕は、メガネを外していた。彼女と向かい合うのが、怖かった。
いままで向き合うのを怖がっていたのは、彼女のほうではなく、僕のほうだった。
とにかく、すべてが耐えられないものに感じられて、いっそ
「もう心で感じることをやめて、塞いでしまおうか?」と思った。それが楽だといちどは思った。でも、
「このままじゃイヤだ!僕の言うことなんか100%否定してもいいから、わかってくれなくてもいいから、もう一度笑う顔を見たいんだ」
と思い、とどまった。
まあいろいろなことを思ったのだが、それもあって僕自身かなり疲れたのも事実だった。とりあえず、甘えられる状況にはすべて甘えて、この疲れを癒してから
考えよう、と思って日々を過ごした。
電車のなかで、またも動悸がはじまる。これも、すっかり慣れてしまった感さえあるが、完全には慣れそうにもない。
なぜだろう?きっと何かが不安なんだ。で、何が不安?これ以上気まずくなってしまうこと?ひょっとして顔も見られなくなってしまう?それが不安なのかな僕は?いや、それもあるけど、
彼女のあの殺気さえ感じるような冷淡な眼差しが怖いのかな?あんなに優しく笑う女なのに、なぜあんなに哀しいんだろう?
あの深い悲しみに、向きあえる力なんてぼくにあるんだろうか?また希望だけ見て突き進んでゆくしか術がないのか、いままでみたいに・・・?
ぼくは、電車のなかで、ひたすら考えた。そして、
「未来にあるはずだ、って思い描ける希望と、いまそこにある悲しみとの距離を見据えるために、悲しみと向き合うと思えば怖くないかな?」
と、そんなことがふと浮かんだ。
いまのかなしみから逃げずに、より深く知ることで希望を現実のものへと近付けることができるかもしれない。かなしみの中に、答えはきっとある。そう思ったのだ。
・・・前よりも、気持ちがラクになっていた。
彼女と挨拶を交わす。あいかわらずその眼は冷たそうで、感じないことで自分を守っているかのようにも見える。
でもこの「壁」を無理に乗り越えたり、壊したりすることは残酷なことだ。少なくとも今はできない。けれど、そう感じてもぼくは素でいられた。
不安な日もまた来るかもしれない。本当の彼女なんて、知ること出来なくてもいい。けど、
きっと、また笑いあえる。ぼくは僕のやりかた、彼女は彼女のやり方で、きっと。
だけど私は鳥カゴじゃないよ
本当のあなたを知っているから(中略)
さよならの意味は一つじゃないよ きっとまた逢える
("Hello Goodbye"松たか子)
(で、いきなり話を変えるが)
昨夜は家に帰ってから、「ひみつの花園」をひさしぶりに観る。
最近笑いがやや足りなかったので、ちょうどいいと思ったのだが、余りあるほどの笑いがおつりで残った。西田尚美にも「カワイイ」をひとり連発してしまって、けっこうバカな僕だった。いつもしょっていた水色のリュックとか、何気ないワンピースとか、衣装もたまらなく良かった。・・・しかし、どうしてあんなに肩が細いのに、華奢なのに、あの存在感?なーんて思ったりする。彼女を背中からギュッと抱き締めてあげられる人がいるのなら、それは幸せでしょう、きっと(いるかどうかは知らぬが..)。
8月23日
きょうは、地蔵盆である。また本文とは関係ないが...。
花と自家製野菜のプランターに水をやった後、朝飯抜きで事務所に向かう。遅くまで寝てだらけていたせいもあって(←いつもよりやや遅いだけ?)、大阪に着いたのは11時30分頃。開き直ってブランチにチーズカツ丼(カツ2枚)を食す。が、最近胃腸の調子がすぐれないこともあって、胃もたれ(膨満感?)を起こし、「しまった」とふと思うものの、おいしかったのでよしとする。ただしチーズがややしつこかったが...。
ちなみに今日は妹の誕生日である。プレゼントなんて歳ではないが、なんかうまいもんでも買って帰ろうかな?などと思ったりする。
8月22日
今日は、菅野美穂とタモリの誕生日である。関係ないが...。
午前中1人でヘタった後、昼を食べて札幌記念を観てその後買い物(野菜)+モスバーガーに行き、ちょっとダビスタをしてから「御長寿クイズ」を観つつ、夕食のしょうが焼きを炒めて食う。平和な一日である。
それから「世紀を越えて」と「ASAYAN」のモーニング娘。のメンバー選抜をハシゴで観て(←凄いハシゴだ。ちなみに選抜に落ちた子の1人は結構タイプだったので、残念だった)、続いて「ネバーエンディング・ストーリー」を途中から観る。子どもの時映画館で観てから15年ほど経ったが、決して子どもっぽい夢物語というだけではない、身につまされる部分もあって、うなづいていた。流石ミヒャエル・エンデ、か?(ちなみに映画版の2・3は良くなかった記憶が・・・)
8月21日
土曜日である。(←んなもん分かってる)
家業の方が休みなので、土・日は個人的にラクできるのが有り難い。というわけではないが、久しぶりに馬券(札幌記念)を買いに行く。
友人に頼まれていた分の馬連と、自分の応援単勝馬券を購入。あと新潟メインにエルフィンフェザー(エアグルーヴの妹)が出走していたのでこれの単勝も購入。また当たり外れに関係なく「換金しない」馬券が増えてゆくなあ〜。
8月20日
ついに、バッグを購入する。
いろいろ迷ったのだが、結局一番最初に候補に上がっていたColemanのデイバックに落ち着く。ちなみに色はグレイと黒のツートンで、作りもしっかりしていてまずまずである。懸案は、ぼくに似合うのか?ということだけか・・・使い勝手も(帰りにしょった限りでは)なかなかである。
ま、なんだかんだ言ってもリュック系は肩が疲れなくていいな、と思う。夏は背中が蒸れるのが難点だが。
ちなみに、夜、「今年らしい映画」ということで、「1999年の夏休み」のオリジナル版ビデオ(中古店で見つけて購入)を観る。久しぶりに観ると、新鮮なような、感慨深いような思いとともに、自分とかぶってるキャラを見つけてドキッとしたりもした。途中まで横で観ていた父はしきりに「ヅカみたい・・」と言っていたが。
8月19日
ペイが入ってちょっと裕福になったのと、バイトが早く上がったこともあって、久しぶりにカードショップに立ち寄る。
少し行かなかった間に品揃えが変わっていて、驚いたのだが、なかでも目を引いたのがUpperDeck社のオートグラフ(サイン入り)のもので、往年の選手にサインしてもらった新作。デザインもモノトーンを基調としたもので、カッコ良かった。
たださすがにそれは買えなかったので、前から欲しかった鈴木あみのCD特典のカードと、NBAカードのベケット(値段表。表紙がケビン・ガーネット〜NIKEのCFでおなじみ。)を買って帰る。・・・しかし、久しぶりにカードになぞ金を使って、かえって新鮮だった。
8月18日
今朝、事務所への行きしな歩いていたら、ぼくの前で若い女性が二人で話していた。どうやらその女性の彼氏とのことを話していたようで、「(カレシが)本気で切れられるとどうなるか分からないから、私がガマンするしかない..」と言っていた。
だが、それを聞いてぼくは「この人は、本気で向きあうことで傷付くのを恐れて、なにもできないんかな」と思った。そして「ガマンする」ことと「許して受け入れること」とをはきちがえてるんじゃないか?とも思った。他人事だけど・・。
ま、要するに甘えてるわけだ。ただ堂々と甘えられない弱さこそあるが。
でもそこで甘えさせてあげるのが、男の度量ってやつじゃないでしょうかねえ〜。「女はみんな甘えたいのよ」って雑誌の対談で希良梨も言っていたが、これって結構核心突いてるような気がする・・・。"No woman,no cry"じゃなくて、"No man,no anger"ってとこでしょうか?(書いてて、自分の耳が痛い)
8月17日
きのうは物騒な話で恐縮だった。(なら書くな、と言われそうであるが)
つまり、僕が自分を精神的に追い詰めて死にかけた、という話しだったのだが、この下の内容じゃわかりにくくて却って危険かな?と思って追記した次第。失礼。
おかげさまで?胃の調子が最悪+ときどき心臓が痛くてヤバい。パートの人にも「やつれてるねえ〜」と見抜かれる?始末・・・いかんいかん、あしたはもっとハッピーな話しだ!!(←暗かったりして。)
君に預けし我が心は いまでも返事を待っています
どれほど月日が流れても ずっとずっと待っています
それは それは空を越えて
いつか いつかきっと届く
(松任谷由実「春よ、来い」より抜粋。なんとなく気分で)
この歌の歌詞など、なんだか現実感がないなあ、という人も多いかも知れない。ユメみたいな〜なんて思うのかも知れない。(「そんなに待ってられない」って?でもこれは、ただ恋を待つ、というだけの意味の歌じゃないはずだ)でも、「とんでもなく凄いこと」や「常識はずれなことをやってのけた」人達はみな、そんな現実感にとらわれて「ユメにすぎないよね。」などと諦めずに、バカみたく突き進めた人々なのだ。(なに、実現してから言えって?まあ待ってくれ。)
それは、いつかわかってほしいと思う。「ユメだよ、絵空事だよ」とつぶやくひとびとにも。
8月16日
まったく後ろ向きな意味で、なにもかもどうにでもよくなる風景を心のなかに感じざるを得ない状況というのがある。
どうすればそんなものを感じられるのかについては、あまりに危険なので割愛するが、その状況でそれでも生を選ぶためには誰かが自分を愛してくれたような記憶など、「生にしがみつくよりどころ」を必死に探し出すか、感じる行為自体を完全に放棄してしまうかどちらかしかない。そう断言しうるものがある。
「死の淵から這い上がった」と言えばなんだか聞こえがいいが、それ自体はなんのことはないものだ。むしろそれをどう感じるかという方が大切なもののような気がする。(←わざとわかりにくく書いてるな・・・)こういうのって、けっこう身近な状況だったりするのが怖い。とにかく、帰りに銭湯に寄って、疲れをいやすことに努めた僕なのだった。(なに、マーベラスサンデーの気持ちがちょっとわかるって?わからんでもええ!そういえばラムタラ〜上の馬、左〜も2歳時に一度死にかけたんだっけ?いずれにせよ、わからんでもええ感覚ではある)ちなみに、手首とか切ったりしてないので、ご安心を。
あなたがもういなくて そこには何もなくて
太陽 眩しかった
(Cocco"RAINING"より抜粋。)
8月15日
午後、買い替え予定のバッグの候補探しに、梅田まで出かける。
この日は今までこの界隈で見ていなかった店を中心に、ひたすら回る。・・・が、なかなかよいものがなく、撤退。「ボイコット」のショルダーバッグはなかなかだったのだが、容量が少ないので、荷物命の僕にはちょっと使い勝手が悪く、パス。結局2時間30分ほど回って、けっこう疲れた。
やはり買い物はブツが決まらないと疲れるなあ〜。
8月14日
メールチェックをして、馬の写真を見て、ヘタる。特にやることもない、平和な一日だった。ただ盆に関係なくバイトは有り。もちろんヒマだったが・・・
8月13日
バイトがはねてから、友人宅でパソコンをいじる。なんでもIEの使い方がわからないとのことで、画像のダウンロードの基本的なやり方などを、一緒にやってみた。僕も日頃はIEは殆ど使わない(Netscapeなので。)んで、けっこう戸惑うが、なんとか出来てほっとする。・・・いやあ〜、Windowsもちょっとはいじっとかなあかんなあ、と思う月友だった。
8月12日
バイトが非番で、一日中事務所に居れて時間に比較的余裕があることもあって、行きに買い替え予定のバッグの下見をしようと思った矢先、goki君よりTEL。彼女と一緒に大阪に来ているという。で、急きょ予定を変更して、事務所で諸設備(つまりパソコン)の説明をしたあと、彼らにはiMacで遊んで時間待ちしてもらう。その間僕はサーバを少々設定して、一区切り付いたところで一緒に昼食をとり、堂島のジュンク堂辺りをぶらぶらして別れる。・・・しかし、こうしてぶらぶらしていると学生に戻ったような気分だなあ、な〜んて思う。(世の中は夏休みなんだ、そういえば)
その後、バッグの下見をしにバーゲン中の阪急百貨店に行くが、カジュアル目の鞄がまるで見つからない。やっと見つけたポール・スミスとINED・オムのバッグはそれぞれ2万円と9千円。INEDの方はともかく(ただし小さい)、ポール・スミスはムリ目だなあ、値段的に・・と思ったのだった。どこかに安くていいカバン、売ってないだろうか?
そうそう、書き忘れていたが、goki君たちに時間待ちの間やってもらっていた「動物占い」おもしろかった。
で、HPをここにも紹介しておこう。→こちら
ちなみに、教えてくれた深里さんの日記はこちら
8月11日
夜、急に雨脚が強くなって、久しぶりにまとまった雨が降る。つい一月あまり前梅雨だった頃、「雨なんてまっぴらごめん」とか思っていたのに、それがたまになると物珍しささえ感じる。
そして「例えばカリフォルニアとかに住んでいる人なんかは、年中こんな感覚なのかしらん・・・」などとふと思ったりする。ホントはどうなんだろうか?
いきなり話をまた飛ばすが、先ほどgoki君からTEL。コンピュータ関連の業種の面接に行ってきた帰りだったようだ。職務内容としては刈穂君が今やっていることと近い内容らしい。「勤務するとなるともう少し先になりそうだ」とのことだが、いよいよみんな動き出したようだ。・・・これからのこと、最終的にやりたいこと。「ほんとにうまくゆくかどうか」など、いろいろ不安もある。
それでもほんとうにやりたいことには、前よりも素直になれるようになったなあと、僕はぼく自身についてそう思う。不安もあるけど、「やってみたい」と言う気持ちを抑えることなんてできない。それに気付くと、勇気めいた自信があふれてくる。
この自信に根拠なんてないけど、根拠がないからってそれが信じるに値しないと、誰も、現在世のなかにあるどんな科学でも言い切れないはずだ。(ていうか、根拠のないものにはフタをして「立証できない」って決めつけて逃げてるのが科学の本質かな・・)だから、
「根拠なんてあとからついてくる」今はそう信じて、やってみたい。いいユメみようぜ!
8月10日
暑いなか、小雨が降っていた。
余りの暑さに、どこまでが頭からしたたってくる汗でどこまでが空から降る雨なのか、区別がつかない部分があった。・・・かなりヤバい。そんななか、何気なく目についた路駐してある小さめのデコトラ。リアの扉には、Kinki Kidsの細密イラストが、ピンクの下地に描かれていた。
しかし、何故キンキ?(前にIZAMのデコトラは観たことがあるが・・・ちなみに光一の顔が妙に怖かった)
8月9日
暑い。しかし暦のうえでは立秋を過ぎ、これは残暑にあたるんだとか。・・・だから、時代遅れだって。
ともかく、空にはむくむくと入道雲が顔なじみとなっている毎日である。ところでここ何日か空を観ていて思うのだが、異様に空の青(ぼくの住んでいる辺りの)が鮮やかに感じられる。大気が澄んでいるのか、はたまた僕の目が曇っていただけなのか?どちらかかはわからぬが・・・
関係ないが、しばらくぶりに矢野顕子を聴く。ベスト盤の「ホーム・ミュージック2」で、坂本龍一が制作に参加していた時代の作品が多く収録されているのだが、この時代の彼女の曲にはいまとは違った独特のパワーが感じられて、goodだった。
な〜んてうんちくはどうでもいいから、歌詞でも引用しておこう。こころに響けば、それがいい音楽なんだ。それだけでいい。
でも、彼女の曲を聴いていると、「愛とかなんとか皆言ってるけど(僕も言っているが。)まだまだじゃなあ〜」なんてふと思う。
いまは おカネもない勇気もない
でも嘘のないこころだけあなたにあげたい
(「愛がたりない」矢野顕子 より抜粋。)
8月8日
買い換え予定だったビデオデッキを、ようやく購入。SONYの廉価版、SLV-R100だ。ちなみに買い換え前の先代(チューナが故障)もSONYだった。「耐久性に難が・・・」といつも言ってる割にはSONY好きな僕。もうこれは腐れ縁か、はたまた愛?
なお先ほど、初めて携帯電話からメールを送る。goki君と、学生時代の友達に1通ずつ送ったのだが、操作がまどろっこしい割に夢中になる。ちょっとハマりそうかも。
8月7日
土曜日なので、夕方のバイトまで休みだった。
最近は土曜日の夕方までと、日曜が休みなので以外と時間が取れなかったりする。(バイトの非番日は、ほぼ1日仕事なので。)
その代わり、事務所での仕事が家業なこともあって比較的融通が利く。事務所までの移動の合間や、空き時間にプライベートな用事を済ませることができるのは有難い。(とはいえ、サラリーマン時代も休憩時間とかに結構会社抜け出してたなあ・・・)
なお午後、友人@メールでやや激しくディベート中、と話をする。かなり嫌そうな態度をされるのを覚悟していたのだが、意外と友好的だったので、ちょっとびっくり。(ほんとは煮え切らない面もあるだろうに・・・優しいのね。←島田珠代風に)却って恐縮して照れまくる僕だった。
8月6日
きょうは一日中事務所にいる予定なのだが、4時30分現在妙に疲れている。
紅茶でも飲みに行こうか?と思うのだが、5時30分ごろ競馬友達と待ち合わせをしているので、そのときにしよう。(あと1時間だ〜)
しかし、Linux for ppc(日本語版)のインストールがこんなに手間取るとは(もう1週間になる)、思わなかった。
どこで頓挫しているかというと、ハードディスクの認識がどうやってもできないのだ。いろいろBOOTERのデバイス指定を変えてやってみるのだが、全くダメだったり、認識してインストールをはじめてもpam等のインストールに失敗してそこでインストーラが終わってしまう。
御存じのかた、だれかhelpme!
8月5日
サーバの設定が煮つまっていたので、本屋に行って立ち読みをする。読んだうちの一冊だった"BART"に、「サラリーマンに聞いた『上司にしたいヒーロー』ランキング」ってのがあって、ウルトラマン以下、ゴレンジャーなど、いろいろ並んでいて面白かった。
なかでも、ランキング外の少数意見のなかに、「帰ってきたウルトラマン」があって、理由として「帰ってきた、というからには何かをつかんできたハズ」と書いてあった・・・「う〜む」と思いつつ、なんだか可笑しくてすこし笑った。しかし、「つかんできた」のが「やや短足になって帰ってきただけ」とかそんなんだったらイヤかも・・・。(←「帰ってきた〜」は初代「ウルトラマン」よりも、着ぐるみの中に入ってる人の関係で、短足なのだ。ちょっとマニアックなのだが)
8月4日
最近、話が重すぎたかな〜、といまさらながら思う。
立ち止まって振り返ったりするのもとっ〜ても大切だろうが、やっぱり楽しいのが一番だ。何だかんだ言っても、みんなで自由に楽しく笑いあいたいのだ。幸せって、そんなもんでしょ?
というわけで、ここらでひと休み。話題を例によって飛ばす。
うちのビデオデッキ(VHS)は前からチューナーが壊れていて、外部入力でほかのビデオ(ベータ)からテレビの映像・音声を入力する荒技?を用いているのだが、この方法だと使っているVHSビデオの機能の関係で、予約録画が出来ない。
これは結構(いや、かなり)不便なので、このほど新たにもう1台購入する運びになった。
で、いままでのVHSは祖母の部屋で使うことになったんで、先週末につなぎ替えを行なった。・・・が、新しいビデオの購入までまだ間がある。さて、それまで録画はどうする?(やべっ、今夜「彼女たちの時代」があるぞ!どうしよう。深津絵里はハズせないなあ)
8月3日
前日の話の続き。
昨日は友人の、強烈に人から裏切られた経験と、それによって感じた深い悲しみから生まれる絶望感・無力感について書いたのだが、その様な悲しみを乗り越えるためには、「けっして裏切らない思いと、そのイメージ」が必要だと思う。
ちなみに僕にとっては、6/17日の項に書いたシンザンの表情から僕が感じたシンザンの「いいんだよ」と総てを許すような気持ちや、小さい頃祖母と言い争いになってかんしゃくを起こし、投げた鉛筆が彼女の額に刺さったとき悲しい顔をして決して怒らなかった時のこと、亡くなった祖父が文句一つ言わずに消しゴム人形を修理してくれた時の記憶が「決して裏切らない思い」としてイメージされる。
で、「決して裏切らない思い」をイメージできると何が良いか、わかるだろうか?
それは、「決して裏切らない思い」には愛があるからだ。いや、けっして裏切らないから愛なんだと思う。だからこそ、「人を信じ、心を通わせつづける力」を出すことができるのだ。すくなくとも僕は、そう信じている。
だから、ぼくの友人もそうだけど、なにか悲しくなって自分を無力と感じてきた人がいるなら、この世の中には「決して裏切らない思い」というものがあることを、心から知ってほしいと思う。そして、すぐには無理かもしれないけれど、いつかそれを持てるようになってほしいと、ぼくは願ってやまない。そのためにぼくは生きたいんだと、大げさだけど思っているから。
8月2日
友人が、小学校時代の先生に気持ち的に裏切られたときのことを話してくれた。その先生というのを偶然ぼくも知っていて、「それなりにいい奴だったなあ」という印象が強かったのでかなりショックだった。
それに僕自身が、強烈に人から裏切られたと感じた経験というのを(幸運にも?)持ち合わせていないので、どう受け止めていいのかかなり戸惑った。またその種の深い悲しみから生まれる絶望感・無力感についても、別の話のなかで「絶望的な高い壁を『越えられない』と感じてしまう気持ちを、壁の外側にいる他人が『こんな壁も乗り越えられないのか』なんて言えない」という旨の言葉で話してくれた。
これを聞いたぼくは、いままで友人のことをわかったつもりでいた節があったこともあり、なんだか恥ずかしいような、いたたまれないような気持ちになった。
だが、深い悲しみには原因があるはずだ。友人が気持ち的に裏切られた、のはその先生だけではないような気がする。「悲しみをわかってほしい」と誰かに手を伸ばそうとしたことも何度もあったはずだ。そうやって手を伸ばす勇気を失わせるほど裏切られた、その思いを想像すると、僕が抱いていた孤独感など砂漠に対する公園の砂場のような、ほんのちっぽけなものに感じられた。
そして、感じたであろう悲しみのすさまじさを思い、一瞬だが「手に負えない」と逃げ出したくなった。友人の悲しみを僕が「自分のものだったら・・」とイメージして重ねたとき、そのイメージがもたらすあまりのすさまじさに、怖くてたまらなかったのだ。その恐怖は、今でもすこし残っていて、もしぼくがその友人だったら、到底乗り越えられないもののような気もする。
でも、それでも、友人はなんとか這いあがって、他人を信じてみようと手を伸ばす勇気をもう一度取り戻した。そして、ぼくに思いを話してくれたことを思うと、僕はその悲しみから「逃げたくない!」と強く思った。・・・たしかに、完全にわかることなどできないかもしれない。ぼくが自分の感情移入とイメージから感じた「すさまじいほどの悲しみ」も、ヤツからすればまだまだ、ほんのちょっとなのかもしれない。それでももう一度他人を信じてみようと勇気をだして手を伸ばした思いを持ってくれたのに、悲しみのすさまじさがもたらす恐怖におびえて逃げたら、ぼくも「裏切った多くの、つまらない人々」と同じになってしまう。それはどうしてもイヤだったのだ。そこで逃げてしまう自分なんて、僕自身が認めるのを耐えられないから。
そして手を伸ばしてくれた思いが、かけがえのないものに思えたとき、「逃げたくない!」は「逃げなくても、いい」に少しずつ変わりはじめてゆく気がした。
友人も苦しかったんだと思う。怖かったんだと思う。それでも話してくれたんだきっと。
ともかく、話してくれて本当にありがとう。
8月1日
朝、空腹と暑さのせいもあって、4時20分頃目が覚める。あまりにも中途半端だったので、ビスケットとアイスコーヒーを摂ったあと寝直すが、ロシアで中国風のマスゲームを、家族3人で観ている夢なぞ観てしまう(しかもフルカラー)。オペラハウス横の支柱?に、日本語・中国語・ハングル(←何故に)?でなにやら書いてあったのが妙に格好良かった。
しかし、相変わらずディープな夢だなあ〜。
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